TOP主催者著作どこかからSOSの叫びがきこえてくる  
■主宰者著作  
   

イ.タイトル
   少年少女たちの非行と向きあった異色の教育実践書
   「どこかからSOSの叫びがきこえてくる」

    非行からのたちなおりをめざし、
    苦悩する少年少女たちへ
    愛のエールを送る!

ロ.出版社


 出版社名 :(有)みなと出版二十二
 住所    :神戸市長田区庄田町3-5-15-603
 電話&FAX :078-641-4601
 E-mail    :22@syd.odn.ne.jp
 ホームページ:http://www1.odn.ne.jp/~ccn50750/

どこかからSOSの叫びがきこえてくる
ハ.内容  本書の構成(目次)
第1話
  「私、誰を頼りにして生きていけばいいの?」 −佐伯智香と私−
    突然の電話/普通の家庭/だらしない異性関係/学校に行くことができない/私のお付きのアシスタントとして/留守中の私への報告/子どもとして頼りになる大人の存在を求めて/その後
第2話
  何で俺って、どこまでも親と縁がないの?」 −大司ポール敬翠と私−
    出会い/かかる経費の獲得/中学校からの通学受け入れ拒否/私との日常の関わり/少年審判の出張言い渡し/母親との別れ/その後
第3話
  「私の本当の気持ちなんて、誰もわかってはくれない」 −守口里子と私−
    家出発見/私とふたりきりの時間/現実の厳しさを認識/母親と涙の再会/その後

 
   

ニ.著書からの抜粋

〜(本書の執筆にあたって)より〜

 

「なんだよう、あの施設のスカしたヤツら? アイツら全然信用できないよ。全く大人はよう、テメーらのことだけで精一杯なのかよう? どうせテメーも同じなんだろう?」
と、いつも私に毒づいていた、夜間徘徊、シンナー吸引、傷害事件を繰り返して気持ちを落ち着かせることがなかった、十四歳だった美紀との関わりの思い出を蘇らせることがたまにある。

「そう、私、親の顔、知らないのよ。・・・・・私、何て言われていたかわかりますか? 中学校の先生から、『腐った林檎』っていつも言われてたんだよ。私と一緒にいると周りの皆、腐っていくんだって・・・・・」
と、いつもワーワー泣きながらこう訴えてきた、今は行方知らずになってしまった愛子のことを思い出したりもする。
彼ら彼女らはいずれも、最も多感な年齢の時期に私が関わった少年少女たちである。

私はかつて非行等の問題がある少年少女たちとの関わりを生業としていたが、事情があって一時期老人福祉に携わる仕事に就いていたので、その間には少年少女たちと関わりを持つことから離れていた。
しかし老人福祉に携わりながらも、かつて関わったことがある、またメディア等で報じられることがあり、更には私の知らないどこかで悩み苦しんでいただろう少年少女たちのことだけを頭の中にずっと支配させ続け、彼ら彼女らに対して何らかのメッセージを送らなければならないと常々考えていた。
私が彼らと関わっていた何年か前もまるで変わることなく今も
「今の自分から這い上がりたい」
「SOSのサインを誰かにキャッチしてもらいたい」
「大人たちに何とか助けてもらいたい」
と、切なる願いを込めてこのように訴えかけてくる少年少女たちがいかに多く存在していることか。

 
   
 
   
ホ.推薦文より  
   

本書をする
型やぶりの教育があってもいいじゃないか

 
村 上 洋(ルポライター)

 
私が嘉戸氏のこの原稿を読ませていただいているとき、衝撃的なニュースが報道された。
大阪府岸和田市で十五歳の少年が実の父と義理の母から虐待を受け、意識不明のまま餓死寸前の状態で保護された事件である。
弱い立場の子どもを虐待する、これは大人の非行であり重大な刑事事件である。
子どもたちの非行問題がクローズアップされるその横で、大人たちの非行・犯罪もまた拡大している。このような複層的悲劇の同時進行こそ、私たちがおかれている状況の深刻さをものがたっている。
子どもも大人も非行という病魔に冒されているということは、家族という基本単位のところで、学校というコミュニティで、そして大きな社会的環境のなかで
育ちあう人間関係
助けあう人間関係
支えあう人間関係
尊敬しあう人間関係
愛しあう人間関係
学びあう人間関係
  が崩れている反映とみるのが妥当であろう。
たてまえだけでいえば、我が国では子どもたちが非行に走る危険性はきわめて低いことになっている。
児童福祉法では
「すべて国民は、児童が心身ともに健やかに生まれ、且つ、育成されるよう努めなければならない」
「すべて児童は、ひとしくその生活を保障され、愛護されなければならない」
「国及び地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う」
  と規定されているからだ。
  また児童憲章では、子どもたちは
「人として尊ばれる」
「社会の一員として重んぜられる」
「よい環境の中で育てられる」
ことがうたわれている。
にもかかわらず子どもたちの非行も、大人たちの手による児童虐待も増加の一途をたどっている。
  最近では児童虐待防止法までつくらざるをえなくなった。
このような状況のもとで、筆者の熱意と行動力は私たちに多くの示唆をあたえてくれる。
  言葉よりも行動で子どもたちにぶつかっていく。
たてまえよりも実質で子どもたちを守っていく。
子どもたちが発信するSOSを逃さない。
筆者のこの姿勢こそ世の大人たちがもっとも身につけなければならないものではないだろうか。
型やぶりの教育があってもいいじゃないかと本書は訴えかけてくる。
非行問題の担当なら自分という自負や、指導をめぐる強烈な個性を示す筆者であるが、その一方で随所に見せる人間愛と自己反省の姿勢に私はおおいに共感をもった。
第2話では
それでもなかなか敬翠の弱い者いじめがなくなることはなく、私の熱血指導がまるで空回りしているようだった。
どうも私は最も嫌っていた弱い者いじめを敬翠が繰り返すことに対する苛立ちがあったようだ。
いじめが発覚する度に、冷静さを失い感情を上手くコントロールできずにいたようなのだ。
上手くいかない指導が私自身の力不足からきていると認めたくなかったから、余計に苛々を募らせ八つ当たり気味に怒りの矛先を敬翠に向けていたのかも知れない。
と悶々としつつ、指導者としての自分を素直にみつめなおしている。
そして第3話では
里子に出会う前の私は
「少年少女たちの対応や彼らが抱える問題の解決なんて、体当たりして行き当たりばったりでも、何とかなるさ」
と高を括っていたところがあった。
(中略)
ところがそんな私に、里子はほんの短い間に得がたい教訓を与えてくれたのだった。
里子は突然私の前に現れて
「私の本当の苦しい気持ちって、わかる? でも、私の心の中を覗こうと思ったら、ちゃんと心の中まで入ってきてくれなきゃ。わかったような顔をして私の上辺だけ見てるんじゃあ、ダメね。だって、私の大好きなお母さんでさえも、私の気持ちをわかってくれなかったんだから」
と私にそう教えてくれたような気がする。
このように対象となった子どもから学んだものを正直に告白してもいる。
非行に走る子どもとそれにたちむかう大人、お互いが生身の人間としてぶつかりあうことの大切さをこの書は教えてくれている。私が推薦のことばを贈る所以である。
筆者の嘉戸篤氏は、悩みを抱える少年少女たちの受け入れ施設を独自に開設することを計画していると聞く。
氏の今後の活躍に期待する。
 
   
ヘ.価格

   定価:本体1,680円(税込)   A5版  320 頁
   ISBN4-9900885-5-7 

ト.発売日

   2004年3月1日

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