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■私が思っていること  
   
少年少女たちの置かれた日本の情勢

イ.経済不況
 
 高失業率、会社の倒産、リストラ等に象徴される不況の現実が情報として、日々マスメディアを通じて流され、さも全国民が、この経済不況に襲われて喘いでいるよう思わされている。
 そして、「不景気だ、不景気だ。」と声高に叫ぶのが、「不況に困窮する当事者たち」ではなく一部の金欲者や物質主義者たちなのであって、その一部の人間たちが大多数の人々を意図的に「経済不況」だと洗脳して意識して不安に陥れているのかも知れない。
 つまり、確かに経済不況が豊かさを望む人々の心を蝕む原因になっている実情が現実ではあるが、それとは別に、彼らは「優越感を誇る」ために、敢えて「不況だ、不況だ。」と叫ぶことによって多くの人たちを不安に陥れ、暗に「金・物絶対主義」をニュアンスしているのかも知れない。
だから、少年少女たちが、「金・物絶対主義」に走るのも、致し方ないのである。

ロ.犯罪の増加  

 聖職者としての地位が認められていた教育関係者たち、法の番人であるべき筈だった法曹関係者たち、成功者としての名声及び尊敬を一身に集めていた政治家たち、倫理と道徳を両肩に背負っていた医療関係者たち、公僕として私を投げ打って人のために尽力していた官僚たち、が嘗て間違いなく存在していた。
 しかし、それは今は昔となり、彼らが犯す犯罪については、その頻発さと罪意識の無さは枚挙に暇はなく、新聞等の報道でもわかる通り、日常茶飯事化しており、この現状は、蝕まれた日本という国の象徴でもあり続けている。  
 暗にこの現実に触発されているのだろう、犯罪の低年齢化と複雑化、更に凶悪化がそれを物語っているように思わせないでもない。つまり、犯罪意識という概念自体が人の心の中から消滅し、多くの人たちに対して少なからず影響させているように思われ、そのことが、少年少女たちに影響を及ぼさないはずがないのである。

ハ. 教育現場におけるその機能の喪失

 「高学歴至上主義」、「受験の成功最優先」等による「単に点を取るためのテクニックの詰め込み教育」が反省され教育改革が推し薦められようとしているが、その対応はいつもながらに後手に回っている。
 しかし、「そうではない、私たちも方策を尽くして努力していますよ。」との反論が聞こえてはくるが、「学校(敢えて学級とは言わない)の崩壊」、「不登校の問題」、そして「教師に対する子どもからの辛辣な蔑み」が消えることはない。
 何故なら、これら学校で起こっている現象は、「子どもからの教育関係者たちに対する、復讐心に満ちた心からの叫び」で、それに対して殆どの関係者が応えていない、からである。
 つまり、大多数の学校関係者たちが陥っている「教師のサラリーマン化と教育責任の放棄」と「教育を阻害する世論への迎合主義」が、少数の「情熱を持った」関係者たちのやる気を削ぐ「システム的病理」が邪魔して、改革がならず空回りし続けているのである。

ニ. 家庭における親としての、子どもに愛情を注ぐ機会の消失

 「親が自身の子どもたちに注ぐ愛情」こそが、「子どもが健全な社会人に育っていく」上で最も重要である。子どもの一過性の荒れや反社会的な行動も、親の継続的な愛情ある対応が立ち直りの切っ掛けを与えることができる。
 しかし、子どもは、親の「継続的な愛情」があることを知れば、「問題を乗り越えようとする」勇気を持つものなのだが、現在の家庭の中には、「親子の相互コミュニケーション」を許さない多くの「便利さ」が氾濫している。
家庭の中の単純な生活の営みによってかつて得ることができた「親子の相互コミュニケーション」が、「便利食品」、「労働の機械化」、「情報メディアの氾濫」等によって、「親の愛情を子どもに伝える相互交流」を許す機会を奪ってしまったのである。
 つまり、知らずのうちに「時間が掛かって面倒臭いことは悪」だと脳にインプットされたために、元々面倒臭い「真摯な親子の付き合い」が避けられるようになり、結果として、必然的に「さして関わらなくても済ませる」ことができる「親子関係が当たり前」になったのだと思われる。

ホ.人間同士のコミュニケーションを必要としないグッズの氾濫

 テレビ、パソコン、テレビゲーム、携帯電話等の爆発的な普及が、直接の「人間同士のコミュニケーションをとらなくても済ませてしまう状況」を作り上げてしまい、人と人とが「直接向き合って感情の機微を察し合う」機会を奪ってしまった。
 そして、本来、「コミュニケーション」とは、「人同士の直接的な関係性を基盤」にして生じるものだったはずが、これらの「便利な機器等」の普及によって、「間接的な関係性」を持つことが当たり前になってきた。
 このことが、少年少女たちに対して、家庭内外における「人間関係」に影響を及ぼさないはずがなく、「バーチャルリアリティーの世界」の中での「人間関係」に留まらせてしまい、「いざ直接のコミュニケーション」を図らなければならない場面になっても、学習されていないから戸惑うばかりなのである。

 
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