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■私が思っていること  
   
少年少女たちの対大人との関係性について

イ. 少年少女たちと親(若しくはその代替者)との関係性  

 現在は大戦後当時とは異なり、多くの場合子どもは、生命を授かる瞬間から又はそれ以前から凡そ二十歳になる年齢頃までは、親又はその代替者によって一身に「直接的な」愛情を注いでもらっているように感じられる。 
 しかし、「親子の直接的に共有する時間」の増加と反比例して、「両者間の心の繋がり」という意味における関係性は確実に希薄になってきている。一緒に居る時間が増えた「ために」なのか、それとも、一緒の時間が増えた「にも関わらず」なのか、明らかな現象である。
 何故そうなってきているかの答えを出すことは難しいが、両者間の関係性が希薄になっていることは紛れも無い事実で、「物の氾濫、情報量の過多、等がその原因を作り出していること」とは別に、そうなっている現実を認識しなければならない。  
 そして、その現実を認識し「相当量のエネルギー」を子どもたちに費やさない限りは、親若しくはその代替者は、子育てを失敗に終わらせ、将来取り返しのつかないことになってしまうかも知れない。
 つまり、親子間には、以前はテレビ、パソコン、テレビゲーム、E-メール等を媒介とした親子の繋がりなんて存在せず、「日常生活の営みの様々な場面を通して、繋がりを結ぶ機会が自然発生的に存在した」のだが、「便利主義によって」その機会が知らずのうちに奪われ、心の関係性を繋ぐ阻害要因となっている。
 だから、以前のようにただ単純に「時間を共有しているだけ」では、両者間の心の繋がりが結ばれることは不可能となり、「如何にして本物の関係性を築き上げるべきなのか」を突きつけられた時に、途方に暮れてしまうのである。

ロ.少年少女たちと対教師との関係性について  

 少年少女たちは、通常の場合、先ず親若しくはその代替者との関わりから学習した後、小学校、中学校、高校において教師に関わって学習することにより、正常な大人との関係を形成していく。学校で過ごす時間はほぼ一日の三分の一近くを占めているから、教師たちの影響力は大きい。
 しかし、現在の教育現場を見渡した時に果たして、教師が彼らに対して「健全育成を促進する役割」を果たし切ることができているのかどうかは疑問の残るところである。要するに、責任を持って教師たちが、大人としての役割を彼らに対して果たしているのかどうかが、疑問である。
 学校教育において構造的又は制度的問題から、役割を果たすことができないでいることは理解できるものの、それとは別に、果たして関係者たちが、「彼らの成長を長い目で見守る忍耐力を発揮できているのかどうか」、「発せられたSOSに対して適切に応じることができているのかどうか」、「心の教育を施すという大義名分を充分に理解し実践しているのかどうか」、等を問いたいのだ。 
 つまり、「少年少女たちへの対応に及び腰になってはいないか」や、「責任を放棄していないのか」等、「教育のプロたる教師たち」の少年少女たちに対する姿勢が問われているのだ。
 
 
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